エッサイの根

イザヤ11:10「その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く」
パウロもローマの手紙の中でイザヤの言葉を引用しています(ロマ15:12)。エッサイの根はもちろんキリストのことですが、エッサイの根という表現はこの箇所だけです。なぜダビデの根と言わずにエッサイの根と言ったのでしょうか?ユダ族、あるいはダビデの子孫という方がユダヤ人には馴染みのある表現です。聖書の表現法として、○○の息子という言葉がよく見られます。ダビデも突然歴史に名を現したのではなく、ダビデにも父があり祖先がいたのです。聖書には側近の父の名前を記すことにより、その人がどこの出身で、どの部族かを知るようにできています。エッサイを記すことによって、ユダ族出身がわかり、ダビデを示していることがわかります。王の地位を高め、揺るがないようにしたのは2代目の王ダビデです。サウルは同じように油注がれたものでしたが、途中で信仰を失ってしまいました。ここにも2番目の子の原理が働いています。古くはヤコブエサウ、エフライムとマナセ、アダムとイエス様…など、初子と次男との間に聖書独特の真理が働いています。ユダヤ人とクリスチャンの関係も同様に考えられます。肉による約束の民、ユダヤ人に対し、クリスチャンは信仰による約束の民です。エッサイの根の最終形態は教会です。