のろいは地を

イザ24:6「それゆえ、のろいは地を食い尽くし、その地の住民は罪ある者とされる。それゆえ、地の住民は減り、わずかな者が残される」
のろわれるべきは罪を犯した人間であり、木にかけられるのは我々のはずでした。今もその原則は変わっていません。人が罪に定められ、死ぬことは揺らぐことのない事実です。のろいは地を食い尽くし、地上には一人も残るはずがない状態でした。しかし、それは神のご計画とは違っていました。神の計画とは、罪を犯し死ぬはずの者がイエス・キリストを信じる信仰によって救われるというものだったのです。イエス様の生まれる前に、イザヤは多くのメシヤの幻を見ています。それらの預言は、ところどころに隠されるように話され、多くの聖書研究者たちを悩ませてきました。現代となっては、預言は成就され、メシヤは現れ、十字架にかかり死んでよみがえってくださったことは明白です。のろいはすべてこのお方が背負われたのです。日本では、下の立場の者が不祥事を行ったなら、上司あるいは責任者は責任を負わされます。世界中で同じようは慣習が見られますが、唯一責任を免れることができるのは独裁者だけです。今でも世界には80カ国以上の国が、王あるいは独裁者によって支配されているそうです。イエス様はすべての罪をそのまま人に背負わせることもできたでしょう。しかしそれをしなかったことが神の愛の証しになるのです。