イエス様が来られたときに

イザ32:1「見よ。ひとりの王が正義によって治め、首長たちは公義によってつかさどる」
王が現れ、女たちに警告がなされる預言です。9節以降は特に女たち、すなわち教会への大切な戒めです。ここには2種類の女が書かれています。「のんきな」女と「うぬぼれた」女です。イエス様が来られたときにのんきでうぬぼれている教会とはどんな教会でしょうか?のんきは英語では「feel secure」となり、いつも安全だと思っている…というような訳になります。何も起きるはずがないと思っているなら、その教会は大きな過ちを犯しています。平和でいつも恵みと祝福にあふれている、と思うなら何か聖書の基本的な部分が欠けているのです。確かに聖書にはたくさんの約束があり、その中には神は決して信仰あるものを見捨てないことが書かれています。しかし、守られることと、自分が安全だと勘違いすることは別です。教会にも試練はあります。苦しみ、悲しみを通り抜けないで何かを得ようとしても、主はお許しにならないでしょう。恵みであれ、試練であれ、主は何かを学んでもらいたいと願っておられるからです。逆にいうなら、主に従おうとすればするほどサタンの妨害は激しくなっていきます。ひょっとしたら迫害に逢うかもしれません。「のんき」は主に従う心と対極にあるものです。心に主を持ち、どんな状況でも従う覚悟があれば、のんきにしているわけにいかないでしょう。