馬や戦車を見て

イザ31:1「ああ。助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない」
エジプトの騎馬能力は大変優れていたようで、当時の戦車は馬が中心ですからかなり戦闘力があったと推測されます。しかし、エジプト人は神でなく、馬も肉であって霊ではない…とはっきりと書かれています(3)。神でないものに頼るものの結末は滅びしかありません。どんなに栄華を極めたとしても、人の一生は百年足らずです。徳川幕府でさえ270年ほどでその歴史を閉じました。ペテロの言うように主のみ前では1日は1000年のようで、1000年は1日のようだとするなら(2ペテ3:8)、270年などわずかな時間に過ぎません。どんなにバビロニアアッシリアペルシャが栄えたとしても主の前ではたった1日も過ごしていないのです。夕があり、朝が来る…このあたり前ののようなことでさえ、イスラエルを征服した国々は見ることができなかったのです。今は苦しくても必ず、朝が来ます。主に信頼して、主の栄光を受けなかった人がいるでしょうか?イエス様のように、たとえ死ぬことがあったとしても、主の御心に従うなら主の栄光を受けることができます。「あそこには馬があるから」とか「戦車の数が多いから」と判断することは容易にできます。わずかな時間の繁栄と永遠とを比べてみれば、今見える栄華に頼るべきかは自然にわかるはずです。