生きているときが

イザ38;19「生きている者、ただ生きている者だけが今日の私のように、あなたをほめたたえるのです。父は子らにあなたのまことについて知らせます」
キリスト教では、死は通過点に過ぎず、キリストを信じる者は死んでもなお神と永遠に生きることが約束されています。しかし、永遠に生きるかどうかはすべて生きているときに決まるのです。勝負はこの世で過ごしている、主にとってはわずかな時間です。もし、この世で福音を信じるチャンスがなければ、憐れみによって死後福音を聞くチャンスがある…と、誰かが言っていましたが、まったくのナンセンスです。それは太陽が西から昇り、赤道付近に雪が降るぐらいあり得ないことです。それゆえに神を賛美できる教会は感謝なことだと思います。「新しい歌を持って、主をほめたたえよ(詩33:3など)」。「息のあるものはみな主をほめたたえよ(詩150:6)」とあるように、生きているものが主をほめたたえることが主のご計画なのです。死ぬ寸前に信じればいいんだろう…などと考えている人たちもいるようですが、それは大きな間違いです。一秒でも多く主とともに歩み、過ごすことが主の願いだからです。病床にある臨終寸前の人に無理やり信じ込ませたり、死刑囚が最後に主を信じて受刑するのはオリジナルの計画からはかけ離れています。生きている間はわずかですから、気を抜かずに主をほめたたえていきましょう。