せっかくの15年

イザ39:1「そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが、元気になった、ということを聞いたからである」
ヒゼキヤが病気であることは前章38章に書かれています。聖書には死にかかっていた、と表現され(38:1)、主があわれみによって15年寿命を延ばしたことと、そのしるしに日時計が10度戻ったことも書かれています。そんな瀕死のときに、バビロン王が使者を送り、ヒゼキヤを気遣う態度を見せました。体調がようやく回復し、主からの約束を得たばかりに、大国からの使者はもしかすると和平の使者かも知れません。ヒゼキヤは大いに喜び、普段なら見せるはずのない国の宝を彼らに見せたのです。それは、略奪してほしいからやったわけではありません。むしろ、これから友好国となるなら、自分の国の自慢の宝物の数々を見せびらかせるのも理解できないことではないでしょう。しかしイザヤはヒゼキヤにもうすぐ起きるユダの未来をヒゼキヤに告げました。ヒゼキヤは病気を癒してもらい、15年の寿命を主から与えられたばかりです。次の15年が不幸に終わるとは想像していなかったのでしょう。自分の生きている間は、平和で安全だろう(9)と、たかをくくっていたのです。与えられた15年が主の計画を見るためのものとは思いもよらなかったのです。