恥は栄光

イザ54:4「恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりを、もう思い出さない」
夫はイエス様のことで、妻は教会のことです。教会が成長して、イエス様にふさわしい妻になるには多くの通らなければならないところがあります。恥をかくことは、とても嫌なことですが、主がもう恥を見ないと言われているのです。神の民が勝利を与えられず、捕囚にあうのは恥ずかしいことです。ましてや、連行されるときに鎖で手足をしばられ、裸同然の格好で歩かされるのです。とても屈辱的だと思います。しかし、購い主が来てこの世界を治めるようになるとき、妻はもはや恥を見ないと語られています。教会は主の栄光の現れる場所です。癒しも奇跡も主の栄光がある場所で起きるのです。祈っても病人は癒されず、体の不自由な人々はそのままの状態でとどまっていることなどありえません。信仰がそこにある限り、必ず主の栄光が満ちあふれ、主の臨在が感じられるはずです。なぜならキリストの花嫁には特別な冠と、座するべき王座の右が用意されているからです。すべては主の栄光のためです。聖書の最初から終わりまで、神と人の関係は主の栄光に包まれていることが書かれています。どんなに難しいことがあっても、恥は過ぎ去り、忘れることができます。主のために恥はとっておきましょう。