良い牧者

イザ56:11「この貪欲な犬どもは、足ることを知らない。彼らは、悟ることも知らない牧者で、みな、自分かってな道に向かい、ひとり残らず自分の利得に向かって行く」
見張り人、牧者はそれぞれ教会の指導的立場にある人です。見張るべき人の目が見えなければ話になりません。また、見えたとしても大きな声で知らせることができなければ何の意味もなさないでしょう。そういう意味では見張り人は預言者のことを指していると思います。また、人をまとめるべき牧者が、悟らずいつも自分勝手な道を歩んでいたらどうでしょうか?誰も彼についていこうとせず、その群れはバラバラになってしまうでしょう。そんなことが神の選んだ民に起こると預言されています。それに対し、主に従う外国人には別の角度からの預言がされています。外国人はユダヤ人以外の民族で、「わたしの家」は教会のことです。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ(7)」はイエス様が神殿の両替商やいけにえを売っている商売人の道具をひっくり返したときに言った言葉でもあります。イザヤ書は長い書簡ですが、イエス様をはじめ12使徒たちは暗記していたようです。祈りの家と言われるのが教会だということはすぐにわかりますが、すべての教会が祈りの家になれるわけではありません。利益をむさぼり、悟らず、貪欲なリーダーであるなら、それなりの裁きを主から受けることになるでしょう。