恥で結構

イザ61:7「あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、その国で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる」
恥を2倍受けるのならいやですが、恥に代えて別のものを2倍受けるのなら喜んで受けたいと思います。恥とは信じ得ないことを信じて、周りとの認識の差が生み出す独特の感性のことです。その場合、多数がその場の空気を支配し、少数は「恥ずかしい」という感情になります。あるいは無知の場合も「恥ずかしい」と思うようになるでしょう。日本では十字架を信じる者たちは「恥」を見ます。大勢の人が、そんなことはあり得ないと思っているからです。イエス・キリストを信じることは、わたしたちには大事なことですが、多くの日本人は外国の神を信じることに抵抗があります。しかも、この世にたった一人しか神がいなくて、ほかの神は排除する排他的な考えも受け入れがたいものです。処女から神が生まれ、十字架にかかってよみがえる話など神話としてはおもしろいですが、信じるにはハードルが高すぎます。そうなると、信じている者たちのほうが滑稽で、彼らのほうが変人なのだと考えるほうが自然です。わたしたちクリスチャンは「恥」を受け入れ、最後まで信じ続けます。そして、約束の通り2倍のものを受け取るのです。