剣を持った結果

ヨハ18:10「シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった」
ゲツセマネの園に行く前に、最後の晩餐があり、そこでイエス様はこれからは財布や袋を持ち、剣のないものは着物を売ってでも買いなさい…と勧めています(ルカ22:36)。そこで弟子たちが「ここに剣が二振りあります」と言っています(ルカ22:38)。つまり弟子たちには2つの剣を持っていましたが、その一つはペテロが持っていたようです。このマルコスへの襲撃は、ペテロにとっては必要なことでした。耳を切り落とされた親類の者がペテロに「私が見なかったとでもいうのですか。あなたは園であの人といっしょにいました(26)」という追求がなければ3度目の否定はなく、鶏も鳴かなかったでしょう。最初にイエス様が剣を確認したときから、ペテロの否定はスタートしていたのでした。剣を持つペテロには「どんなことがあっても、イエス様をお守りするぞ」と意気揚々とした態度が感じ取られます。マルコスの耳を切り落としたときも、それは変わらず持ち続けた思いだったでしょう。しかし、いざイエス様が連行され、取り調べられている様子を見たなら、自分も捕まり拷問されるのではという恐れが彼を襲ったのです。ペテロがご自分を否定することを知りながら、剣を確認されたイエス様の心の大きさに驚かされます。