恐れるピラト

ヨハ19:8「ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた」
ユダヤ人たちは「この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります(7)」という、自分たちの神についての申し出をし始めていました。ある程度、ユダヤ人たちの風習や慣習を認めてやり、彼らの拠りどころである神の神殿まで壊さず残しておいたには理由があります。心の拠りどころを無くするなら、暴動がおきかねません。それでなくてもローマの領土は広がり、余計な騒動に兵力を裂くことは避けたいはずです。第2次大戦後、連合国は日本の天皇制を廃止しようとしましたが、日本国民の感情を考慮して取りやめたことがあります。まったく同じ動機でピラトは恐れたのだと思います。ローマの法律に照らし合わせるなら、何の罪にもあたらないわけです。そういう意味ではピラトはまじめに自分の仕事をこなしていたと言えます。しかし、ユダヤ人の最も大切な「神」を持ち出されてはお手上げです。彼らの独自の律法では重罪なのに、ローマはそれを無視したとなると暴動になりかねません。各州の総督たちが最も恐れることは、暴動、反乱などのローマの統治の秩序が乱されることです。結局、ピラトは裁判の席に着き(13)、ユダヤ人の感情を抑えるために十字架刑を言い渡すのです。ピラトはある意味ユダヤ人の感情に流された被害者とも言えます。