ペテロを見てて

ヨハ21:15「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか』ペテロはイエスに言った『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです』イエスは彼に言われた『わたしの小羊を飼いなさい』」
新改訳の下の注解には「愛」の部分はイエス様は「アガパォ」に対してペテロは「フィレオ」であると書かれています。ギリシャ語では「愛」という訳にも4種類ぐらいの区別があり使い分けていました。実際にはイエス様とペテロはアラム語あるいはヘブル語で語られていたと思われます。それは十字架上の「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」のように、所々でイエス様が語られた言葉がそのまま載っていることからもわかります。ヘブライ語では「愛」は「ahab(アハブ)」がほとんど使われ細かいニュアンスの区別はありません。一方、アラム語では「rakhma(ラクマ)」「khooba(クーバ)」という2種類の言葉があり、ラクマはいわゆる無条件の愛を指し、クーバは広く受け入れる個人的な愛を指します。本文中に「イエスの愛されたあの弟子」という言葉が何度も出てきますが、これはヨハネ本人のことだと思います。ヨハネがこの場面を聖書に書くときにわざわざ「アガパォ」と「フィレオ」を書き分けたのは、二人がアラム語を話しており、2つの「愛」を互いに使っていたことを証言したかったのではないでしょうか。ヨハネはペテロをイエス様の捕らえられていた、大祭司の中庭に導き入れ(18:15)、3度の否定を目撃した張本人です。最後の晩餐で、ペテロがイエス様を否定することを聞き、否定を目撃し、そして3度愛しますか、という回復のときまでの全部を見聞きした証人なのです。