さばきつかさ

士2:18「主が彼らのためにさばきつかさを起こされる場合は、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさの生きている間は、敵の手から彼らを救われた。これは、圧迫し、苦しめる者のために彼らがうめいたので、主があわれまれたからである」
「申命」もそうですが、士師は元来、日本の言葉ではなく中国の言葉です。ヘブライ語では「shaphat(シャファット)」となり、判断するとか治めるという意味の言葉です。日本語ではそのまま「裁き司(さばきつかさ)」となっており、この表現が最もオリジナルに近いと思います。イスラエルの民は結局、主から言われた通りにカナン人を追い払わず、共存することを選びました。このようにリーダーが判断を誤って、追い出すべきものを放置するなら、残されたものが罠となってしまいます。ヨシュアのように強く、民を率いるリーダーはもういません。この時代のリーダーたちの大きな判断は、外敵からどうやって自分の民を守るかということでした。そういう意味においては、「戦い」の決断は大きなリーダーの役目だったと思います。主はイスラエルの民をあわれみ、臨時的に一人の判断に優れ、力を持ったリーダーを立てて、外敵から守らせたのでした。さばきつかさたちは主から選ばれた、その場しのぎのリーダーたちでしたが、イスラエルの民は彼らにすがり、助けを求めます。結局、王が誕生するきっかけを作った存在がさばきつかさであり、それも主のご計画の一部だったのです。