霊のいる場所

1ペテ3:20「昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです」
ノアの箱舟は終末時代のひな形と考えることができるでしょう。ここでも「予兆」と「成就」の関係があります。最初の世界の滅びは「水」でなされ、次は「火」によってなされることが書かれています(ゼパ3:8)。最初の世界の滅亡のときにはわずか8名だけが生き残り、彼らから現在に至る子孫たちが産まれたのです。人は肉体を失うと霊の存在になりますから、ペテロが言うのは滅ぼされた人たちの霊のことかも知れません。最初の滅びと2回目の滅びの違いは「救い」があるかないかです。ノアの洪水のときにはイエス・キリストの救いは完成していませんでした。イエス様は一度死ぬ体験をしたために、本来神が行くことのないはずの場所まで行くことができたのです。その場所には霊たちがいました。かつて歴史の中で十字架の救いが完成する前に死んだ人たちはどうなるのだろう…と思い悩んだことがあります。十字架以降は福音はすべてクリスチャンの手に委ねられています。しかし、十字架以前はどうなのでしょうか?ペテロの言うようにここで御言葉が発せられ、福音が述べ伝えられたのでしょうか?