思い煩いをゆだねる

1ペテ5:7「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」
聖書に約束が書かれているなら、この約束は心強いものです。心配してくださるのは他ならぬ神ご自身だとペテロは言います。しかし、この御言葉の後半は理解できても、前半を実行するにはなかなか勇気がいります。思い煩いは心から離れないものだからです。世の中不況で生活はどうなるのだろうか…などと考えてしまいます。人の将来など誰にもわかるはずありません。心を何かが支配し始めたらそれは偶像礼拝の警告です。多くの人は経済的なことで苦しんでいます。食べられるだけでも十分な祝福だと思いますが、それ以上に何か必要でしょうか?困窮することは一見、祝福から見放されたように見えますが、それは違っています。人は困窮し試練に出会うときに、心から主を求めるようになるのです。思い煩いをすぐに主の前に差し出し、解放されれば良いのですが、なかなかそうはいきません。それが思い煩いというものだからです。「えーい、どうにでもなれ」と思えるようになるまでには時間がかかります。どういう結果でも主の導かれたとおりに歩む決心があるなら、主にゆだねることが少しは容易になると思います。何よりも目に見えない神が自分を心配してくださると信じることは、まさしく信仰以外の何ものでもありません。「大丈夫、主がいてくださり心配してくださる」と言えるのは信仰のたまものだと思います。信仰があるかどうかは、神にゆだねることができるかにかかっていると思います。暗い顔ではなく明るい顔でクリスチャンはいたいものです。主が生きておられ、心配しているからです。