混乱のとき

士21:21「見ていなさい。もしシロの娘たちが踊りに出て来たら、あなたがたはぶどう畑から出て、めいめい自分の妻をシロの娘たちのうちから捕らえ、ベニヤミンの地に行きなさい」
ミツパの集まりにシロの人たちは行きませんでした。シロには祭壇があり、またミツパはイスラエル40万人が集まれるほど広い高地でした。サウル王が亡くなったときも、ヤベシュ・ギルアデの人々が丁寧にサウルを葬ることが書かれ、ダビデが彼らの労をねぎらうシーンがあります(2サム2:5)。おそらくヤベシュ・ギルアデはベニヤミン族と親戚関係にあったかあるいは友好が深かったと思われます。それゆえ、ベニヤミン族に対する決議の話し合いに出向かなかったのです。ベニヤミンは許すまじ、でも1族が滅びるのは困るという矛盾した考えを持ちながら、最低でもベニヤミン族に自分たちの娘を嫁がせまいと他の士族たちは固く約束します。士師記の最後の3章ぐらいは、さばきつかさの話ではなく、いかにイスラエルが乱れており、おのおの心に正しいと思うことをやっていた様子が書かれています。祭司や大祭司でなく、また預言者でもない政治的で軍事をコントロールできるリーダーが必要です。特に追い出すべき異邦人を残しておいたイスラエルの罪は大きく自分たちにのしかかってきました。そのツケを払わなければならないときが近づいているのです。