死を願っても

黙9:6「その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである」
いのちは祝福であり、生きることは恵みでもあります。しかし、生きている中で苦悩や思い煩いはつきものです。ヨブはすべてを失ったときに「主は与え、主は取られる、主の御名はほむべきかな(ヨブ1:21)」と言いました。さらに主はヨブの肉体を苦しめたときに「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか(ヨブ2:10)」と妻に答えています。あまりにも苦しいゆえに死を願うことがあります。人は唯一自殺する生き物です。他の動物には見られない行為です。それは、死んだら苦しみから逃れられるという短絡的な考えが支配するからです。犬でもネコでも最後まで生きようとします。どんなに怪我をしても、体が弱っても最後まで生きる姿勢が見られます。5番目のラッパが吹き鳴らされたときに、神は人の生きる希望を奪おうとしました。人があまりにも苦しくて死にたいと願っても、それさえもかなわない究極の試練です。信仰があるならば最後まで死を願わないでしょう。いのちを与えた方を最後までほめたたえることができるなら最高の人生だと思います。このような肉体の苦しみの中でも、十字架にかかったお方はもっと苦しんだことを私たちは知るべきです。