サウル王の最初は良くても

1サム10:6「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます」
サウルの王のスタートはすばらしいものでした。神の霊がくだり実際にサウルは預言者とともに預言にするようになり「サウルも預言者のひとりなのか」ということわざになるほどでした(12)。それほど聖霊に満たされ、主によって選ばれたはずなのに彼の最後は悲惨なものでした。神の御霊を受けながら、ダビデに嫉妬し、ダビデがもてはやされることを嫌ったのです。サウルは恵まれた体格と誰よりも美しい容姿が与えられ、王になるにはふさわしいものでした。しかも聖霊まで与えられ、預言するようになるのです。何の不満があるのでしょうか?彼の失敗は満たされると、周りが見えなくなる典型のように思えます。「心の貧しいものは幸いです」とイエス様は言われました(マタ5:3)。サウルは今は満たされていますが、やがてダビデの登場によって、嫉妬やねたみをおこすようになるのです。つまり心の貧しい者になりました。そのときに、真剣に主に求め自分を変えてくださるように願ったならば、サウルの人生も祝福されたものになったかもしれません。なぜなら「天の御国はその人のものだからです」と書かれてあるからです。心が貧しく、満たされないときほど主を求めるときはありません。祝福だけの人生も考えものです。