刈り取り

詩129:7「刈り取る者は、そんなものを、つかみはしない。たばねる者も、かかえはしない」
「そんなもの」とは、伸びないうちに枯れる屋根の草のことです(6)。日本のかやぶき屋根もそうですが、屋根にかややわらを敷き詰めてからさらにその植物が成長してしまうと、屋根の機能を果たせません。屋根に使うには成長がストップした長さの整ったかやを使うべきです。収穫のときには、実ったものだけを刈り取り、成長がとまり枯れたものは放置されるのです。そんな麦は屋根の草にぐらいにしかなりません。主の忍耐は強く、今の時代は悪い実がなる麦も、刈り取るまでそのままの状態でいます。イエス様も「収穫まで、両方も育つままにしておきなさい(マタ13:30)」と言われています。そして毒麦は最初に集められ焼くために束ねられるとあります。また黙示録では祭壇から出てきた鋭いかまを持つ御使いが、地にかまを入れ刈り取り、神の激しい怒りの酒ぶねに投げ入れることが書かれています(黙14:19)。すべての話に共通することは、収穫の際に実がなり成長したものと、そうでないものがあるということです。ここではシオンを憎むものが刈り取る対象から外されています。救われることと、実がなることはちょっと違います。救われたとしても主との交わりもせず、聖書も読まず、祈りもしないのなら神とその人には何の関係があるでしょうか?神は一秒でも多く、人と過ごすことを願っておられます。そしてやがて穂がたれるほどの実がなるのです。