わたしの祈り

詩130;2「主よ。私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください」
主がいつも祈りにすぐ応えてくださり、あっという間に必要が満たされるなら誰も感謝しなくなるでしょう。それはまるで神が自動販売機のような感覚です。お金を入れれば好きな商品が出てくる…祈れば望みがかなえられる…何か勘違いがここにはあるようです。もしこの詩篇の筆者のように飢え渇いて主を求めるなら、主はきっと心をとめてくださるでしょう。何もかもうまくいかないほうが主をもとめる動機付けになると思います。主は祈りに応えてくださるお方です。しかし、主のみ心ははるかに高く、人の考えることなどちっぽけなものです。それでも人の願いに耳を傾けてくださるのなら、どれだけ憐れみ深いお方なのでしょうか?祈りがスイスイ応えられるなら人は自分の願いと主の思いの高さの違いに気遣いないままでいるでしょう。相手は全宇宙を造られた神なのです。はじめであり終わりであり、人にいのちを吹き込まれた偉大なお方です。その言葉にはいつわりがなく、語られる言葉はすべて実現するのです。本来なら汚れている人間が神に出会うことでさえかなわないことです。それでも人を愛し、人の祈られるひとつひとつの言葉に耳を傾けられます。忍耐し、どんなに幼稚な祈りでも粗末に扱わず、その人の信仰に合わせて応えられていくのです。主の栄光だけを求めるなら、その祈りは喜ばれるでしょう。