ヘルモンの露のように

詩133:3「それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである」
前節ではアロンに油注がれた油が、ひげにまで伝わり衣の襟までしたたる様子が書かれています。ヘルモンの露も同様に、標高2800メートルのヘルモン山から落ちる雪どけ水が集まり、明け方にはシオンの山にも露となって降りる様子を表現しています。両方とも注がれたものが溢れることを表現した比喩です。シオンの山は主がとこしえにいのちの祝福を命じられた…とあります。油も水も聖霊の象徴です。イエス様がサマリヤの女に出会ったときに「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます(ヨハ4:14)」と言われました。シオンの山は主の隣在する場所で、神殿があり主の契約の箱がある場所でもありました。イエス様の時代になってからは教会が主の隣在する場所です。教会に聖霊が注がれ、いのちが溢れるほどになると主が命じておられるです。この詩篇の書き出しは「兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」となっています。兄弟とは主を礼拝する人々のことだと思います。ダビデは王であるにも関わらず、ともに主を礼拝する者たちを兄弟と呼んでいます。まだ新約の時代でもないのに、ダビデの心にはすでに主を愛する人たちを兄弟として扱っていたのです。