創造の業の深さ

詩135;6「主は望むところをことごとく行なわれる。天で、地で、海で、またすべての淵で」
主が御心を行なうことは間違いありません。逆に言うなら、御心しか行ないわないのです。ここでは天地、海そしてすべての淵と書かれています。淵はヘブル語で「tehowm(テホーマ)」となっており「深み」とか「深淵」などと訳されます。地球の中心にはマントルと呼ばれる溶岩の流れる地層があり、さらにその下には核(コア)と呼ばれる層があるとされていますが、誰もそれを見た人はいません。また地球の最深の海底は約1万メートルだとされていますが、誰もその底を見た人はいません。ましてや宇宙の果てとなると、人類はようやく地球の衛星である月まで到達するのがやっとで、隣の火星にもまだ行くことができていません。21世紀になり科学も進み、あらゆることが解明されるような時代になっても、神の造られた地球の果てまで到達した人はおらず、宇宙に至っては望遠鏡でその偉大さを眺めるのが精一杯です。天でも地でも海でも、その深みにでさえ創造の手を休めず、細部にわたり細かく造られたお方にどんな不可能があるのでしょうか?主が望まれることはすべて実現し、その言葉の通りになります。問題は自分の生活と偉大な神とに何の関係があるかということです。主の御心がわかるなら、おのずとその答えもわかってくるでしょう。人を通して主の栄光が輝く…これが神の計画で、御心なのです。