賛美できるようになるには

詩145;14「主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます」
ダビデが主を賛美するのを誰よりも喜んだのは、主ご自身だと思います。人が神に罪赦されクリスチャンになったとしても、それで終わりではありません。そこから神との二人三脚が始まるのです。そして、主がしてくださったことを述べ伝えなければなりません。ある人は病に、ある人は人間関係に、ある人は経済的に困窮しているかも知れません。しかし聖書には、主は倒れる者をみな支え、屈んでいる者をみな起こされる、と書かれています。原文ではみなは「kol(コル)」と書かれ、例外なくすべての人が当てはまることがわかります。すべての人が、主が支えてくださった経験を他の人に話すべきです。自分が倒れて困っていたときに、主が力づけ起こしてくださったことを伝えるのです。主を賛美するにしても、伝えるにしても主との交わりがなく、経験がなければどちらもすることができません。ダビデがこれほど賛美できるのは、彼がサウルに追われている間も主に祈り、主をほめたたえる姿勢を忘れなかったからではないでしょうか?ダビデ自身も何度も倒され、失敗し、あるときには精神異常を装うような経験の中でも、いつも主を心に思い、主に信頼していました。ダビデが主をほめ歌う背景には、ダビデ自身が倒れたとき主に支えられ、かがんでいたときに起こされた経験があるからです。