アブシャロムの策略

2サム14:33「それで、ヨアブは王のところに行き、王に告げたので、王はアブシャロムを呼び寄せた。アブシャロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブシャロムに口づけした」
アブシャロムの妹タマルは姦通罪とされ、本来石打ちにあうべきですが、事情が事情ですし、王女でもあったので死ぬことはありませんでした。しかし、イスラエルのおきてとしては処女を結婚前に失ったために自由に結婚もできなくなりました。そんな妹を見て怒らぬ兄がいるでしょうか?アブシャロムはダビデが産んだ子供たちの中で最も美しく、イスラエル中の中でほめはやされていました(25)。やがてアブシャロムにも女の子が生まれ、その子に「タマル」と名づけています。おそらく妹タマルを敬愛したゆえに、自分の子にもその名を継がせたのだと思います。日本の忠臣蔵はわずか1年半足らずでの復讐劇でしたが、アブシャロムは2年チャンスを待ち続けました。彼はその場でアムノンを打ちたたくこともできたでしょう。聖書には「このことを良いとも悪いとも何も言わなかった(13:22)」と書かれています。冷静で沈着、忍耐強い性格が見てとれます。ヨアブはダビデ親子を仲直りさせようとしましたが、ダビデはアブシャロムを呼び寄せるだけで会おうとはしませんでした。最後にとったアブシャロムの行動はヨアブの畑に火を放つという、とても彼らしからぬものでした。それだけ父ダビデを愛し会いたかったのだと思います。