エディデヤ

2サム12:25「預言者ナタンを遣わして、主のために、その名をエディデヤと名づけさせた」
エディデヤと名づけさせた、の主語は「主は」です。主ご自身が「愛する者」という名前を付けたのですが、その後ソロモンがエディデヤと呼ばれる記述はありません。新約ではイエス様が洗礼を受けられたときに「これはわたしの愛する子(マタ3:17)」と言われ、また山に登り御姿に変わられたとき天から「これはわたしの愛する子(ルカ9:35)」と語られたと書かれています。ダビデとバテシェバの最初の子は不倫の子として主からは祝福を受けませんでした。名前も記されていないこの赤ん坊は残念ながら死んでしまいます。ダビデから出る子が祝福をうけることはわかっていましたが、その子の母はミカルでもなく、アヒノアムでもアビガエルでもありませんでした。ダビデが罪を犯し、主を怒らせる原因となったバテシェバとの子供が祝されたのです。しかも、イエス様のときに匹敵する「主が愛された者」という特別な名前を付けられるのです。確かにソロモンは「平和」という意味で、ダビデの時代に平和はなくダビデは死ぬまで近隣国との戦争を気に留めなければなりませんでした。しかし、エディデヤすなわちソロモンの時代には近隣国との和平もすすみ、戦争はほとんどなくソロモンの時代には平和が訪れ、イスラエルの黄金期を迎えるのです。ソロモンの最後はあまりほめられたものではありませんが、主がご自分の付けた名前で呼ばれたのは間違いありません。