2サム24:25「こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。主が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった」
主がわざわいを思い直して御使いと止めたとき、御使いはエブス人アラウナの打ち場のかたわらにいました(16)。エルサレムはもともとエブス人が住んでいた土地で、ダビデが追い出した経緯があります(5:8)。イスラエルの民が住む境界の地で主はわざわいを思いとどまりました。エブス人アラウナは王が自分の土地に祭壇を築きたいと言ったときに、即座に何のことかを理解したようです。それはアラウナが自分の近隣まで襲っている主のわざわいを目撃していたからだと思います。アラウナが自分の土地をダビデに寄与しようとしたのは、わざわいがそれ以上広がらないようにするダビデの意図がすぐにわかったからです。ダビデとしては自分の犯した罪を、もらった土地に祭壇を建てていけにえを捧げるわけにはいきません。ダビデはその土地が神から示された土地であっても、王の特権を使ってアラウナから奪うことを嫌ったのです。正当な価格で正当な取り引きでその土地を買い、主に対して誠を尽くしたいのです。それゆえ、主はわざわいを思いとどまり、それ以上イスラエル人が死ぬことはありませんでした。これがサムエル記の最後の記述です。
主がわざわいを思い直して御使いと止めたとき、御使いはエブス人アラウナの打ち場のかたわらにいました(16)。エルサレムはもともとエブス人が住んでいた土地で、ダビデが追い出した経緯があります(5:8)。イスラエルの民が住む境界の地で主はわざわいを思いとどまりました。エブス人アラウナは王が自分の土地に祭壇を築きたいと言ったときに、即座に何のことかを理解したようです。それはアラウナが自分の近隣まで襲っている主のわざわいを目撃していたからだと思います。アラウナが自分の土地をダビデに寄与しようとしたのは、わざわいがそれ以上広がらないようにするダビデの意図がすぐにわかったからです。ダビデとしては自分の犯した罪を、もらった土地に祭壇を建てていけにえを捧げるわけにはいきません。ダビデはその土地が神から示された土地であっても、王の特権を使ってアラウナから奪うことを嫌ったのです。正当な価格で正当な取り引きでその土地を買い、主に対して誠を尽くしたいのです。それゆえ、主はわざわいを思いとどまり、それ以上イスラエル人が死ぬことはありませんでした。これがサムエル記の最後の記述です。