共産教会?

使4:34-35「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである」
初代教会が形成される中で一種の共産主義のような考え方があったようです。マルクスレーニンも理想の国家には、富の分配が不可欠で貧富の差があってはならないと考えました。しかし、理想の共同体を作りたいのなら、神の介入なくしては不可能です。初代教会には、聖霊が満ちあふれていました。イエス様の復活があかしされ、神の恵みがすべての人の上にあったと書かれています(33)。共産主義の難しいところは、一度富を持った者たちが貧しい者に財産を分配しないことにあります。主にあって信仰によって、自分が財産を捧げても、まだ余りある恵みが天から与えられると信じたときに、はじめて初代教会のように成功するのです。結局、パウロの開拓したローマ、コリント、ガラテヤなどの教会ではすでにこの共産的なやり方ではなかったようです。「ひとりひとりいやいやながらでなく、強いられてでもなく、心に決めたとおりにしなさい(2コリ9:7)」とあるように、全員に強制徴収を強いたわけではありません。「神は喜んで与える人を愛してくださいます」…この言葉にすべてが集約されているような気がします。共産であろうが、なかろうが主に対する愛が教会を理想の形にしていくのだと思います。