ペテロでなければ

使10:15-16「すると、再び声があって、彼にこう言った。『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない』こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた」
ペテロには苦い経験がありました。それはイエス様が捕らえられたときに、自分にも容疑がかけられ捕らえられるのを恐れ3回主を知らないと否定したことです(ヨハ18章など)。その後復活したイエス様に3度「主を愛します」と告白さされました(ヨハ21:17)。そのときイエス様の「愛しますか?(アガパオ・エゴ)」に対して「愛します(フィレオ・スー)」と答えたことは有名な話ですが、3回目にイエス様が聞かれたときは「フィレオ・エゴ」という言葉を使っています。つまり人間的な愛でもかまわないから、わたしを愛しますか?と聞かれたのです。ペテロはこの2つの出来事で、3回繰り返されることに主の深い悟りがあることを理解していました。「神がきよめた物」には2つの意味があることをコルネリオに会った瞬間知ることになります。そして、後にペテロはそのことを証ししているのです(11:11)。「愛」という表現に2種類の言葉が使われたように、「神のきよめた物」にも「食べ物」と「異邦人」の2つの意味があることに気づくことができたのは、世界広しと言えどもペテロだけだと思います。主のペテロに対する3度繰り返す事例はこれで3回目です。しかし、今回のペテロは違っていました。彼は聖霊を受けて力を得、主からのメッセージに的確に答えられるようになっていたのです。