キプロス人とクレネ人

使11:20「ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた」
ステパノが殉教したにもかかわらず、彼が従事していた食事当番の教訓は生かされていませんでした。しかし、ここにキプロス人とクレネ人がいたと書かれています。キプロス島クレタ島(あるいはクレネ島)に住む人々のことです。ステパノの殉教をきっかけに散らされたユダヤ人たちはギリシャ語をあまりうまくしゃべれなかったのでしょう。それに対して、キプロスクレタは完全ローマ支配でギリシャ語がおもに話されていました。彼らは少数にもかかわらず大胆にギリシャ語で福音を伝えたのです。主の御手が彼らと共にあったので(21)、とあるように、ギリシャ語を話す異邦人たちを主はあわれみ、お選びになりました。そして用いられたのは島に住むいなか者たちです。このことがきっかけでアンテオケ教会は成長し、エルサレムのエース級のバルナバ、さらにパウロを投入し、1年に渡って御言葉が語られました。当時のアンテオケはローマ、アレキサンドリアに次ぐ大都市で、流通、軍事、経済にいたるまで要の都市でした。アンテオケで教会ができることは、その後の西への宣教がかなり楽になります。そのきっかけになったのは名もない、いなか育ちのキプロス人とクレネ人たちだったのです。