またいつか

使17:32「死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った」
自分に関係の深い事案なら、何をおいても時間を割いて聞くことができるでしょう。「またいつか」は聞きたくないという意味です。パウロはアレオパゴスの真ん中に立って話した、とあります(22)。アレオパゴスにはアテネの議会があり、小高い丘の上に位置していました。それゆえ、パウロの声は遠くまで届いたことでしょう。彼は大声で、もし神がおられるなら、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はなく(25)、そんな偶像に仕えることはおかしいことだと、訴えました。しかし、ひとたびギリストが死者の中から復活されたことを話すと、とたんに熱が冷めてしまいます。異邦人の神には死者を復活させるだけの力はなかったので、まるで絵空事のように思えたのです。それでも議会の裁判官デオヌシオ、ダマリスという女と幾人かが信じるようになったと書かれています(34)。街中に偶像があふれるような状況でも、真理を求める人はいたのです。しかも、裁判官というポジションを聞くなら、アテネの町が正当に治められていなかったことが想像できます。たとえ多くの人に拒否されても、神の言葉は生きていて、真理に餓え渇く人たちの心に届くのです。福音を語ることをあきらめない教訓がここにあると思います。