ガリオとソステネ

使18:17「そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった」
パウロはイエス様にコリントで伝道を続けるように言われ1年半もコリントにいました(10.11)。その間にユダヤ人たちはパウロを訴える機会があったはずです。聖書には「ガリオがアカヤの地方総督であったとき(12)」とあります。おそらくガリオのうわさは「ユダヤ人の訴えを聞いてくれる寛大な総督」というものだったのではないでしょうか?それゆえ1年半のパウロの活動期間中に他の総督に訴えることはしなかったのです。しかし、ガリオもまた他の総督と同じようにユダヤのことばや名称、律法にまつわることには無関心でした(15)。ユダヤ人たちは会堂管理者が管理を怠ったため、パウロがよからぬ教えを広めた、としてソステネを打ちたたきます。しかも法廷の前でガリオに見えるようにアピールしたのです。ソステネがどういう人物かは書かれていませんが、コリントの手紙の冒頭に兄弟ソステネから書き送る、という文面があります(1コリ1:1)。同一人物だとすると、ユダヤ人から総督への見せしめのために打ちたたかれ、ユダヤ人たちに嫌気がさしたのはなんとなく想像できます。その後、同僚クリスポと同じようにキリストを信じるようになったとしてもおかしくはありません。ユダヤ人から虐待を受け、総督からは無視されましたが、イエス様はソステネをお見捨てにならなかったのです。