元気出して

使27:22「しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです」
たとえ主が共におられようとも、通るべき道を避けて歩むわけにはいきません。「共におられるのなら、危ない道やでこぼこの道を通さないようにして欲しい」と思う人たちはたくさんいるでしょう。クリスチャンだから、何もかも祝福で満たされ、順風満帆の人生を送ることができると思うなら、それは大きな勘違いです。確かに、人は恵みを受け、祝福され、金銭的にも家族にも満たされることはできます。では、教会にはやもめは集えないのでしょうか?母子家庭、離婚者、みなしご、経済破綻者…などなど、社会的に弱者は何よりも神を求める餓え渇きがある人たちです。パウロのように主にあって苦難の道を歩む人を見て、主から祝福されていない者として指差すことができるでしょうか?パウロは苦しみの中にあっても聖霊によって導かれ、何が主の導きかを知っていました。人の目には不幸と思われることでも、主にとっては通るべき道を示しているのであり、何よりも人は嵐に出会うことなくして成長はありえないのです。パウロがどんな試練にあおうとも、喜んでいられたのは、それが自分の成長のためにどれだけ役に立つかを理解しているからであり、主からの愛の贈り物であることを心から信じていたからだと思います。