自費で家を借りて

使28;30-31「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」
パウロが果たして皇帝の前に立って直訴して、キリストを証ししたかどうかは書かれていません。当時の皇帝はネロでキリスト教には排他的な立場にありました。パウロが尋ねた教会の先々で、パウロがローマに着くなら捕らえられ、ひどい目に会うだろうと預言され、涙ながらに別れてきたのです(21:4など)。しかし、使徒の書簡の最後はハッピーエンドで締めくくられており、皇帝の前でどうやって弁明し、何らかの処罰を受けたという記述は残っていません。書かれていることは2年間ローマにとどまり、自費で家を借り、自由に客を招き入れ福音を述べ伝えた、ということです。言い伝えによれば、パウロは最後に処刑されたことになっており、ローマ滞在後に何かしらの容疑で再び逮捕されたことが推測できます。苦悩と困難に満ちたローマまでの旅は、すべて皇帝に会うためだったはずです。何か拍子抜けしたような、この書簡の終わりかたはルカが目撃したことをテオピロに伝えるためのものであって、ローマ到着以降パウロとルカは別々に分かれたために、これ以上のことが書けなかったのでしょう。ルカが最後に目撃したことは、パウロが何不自由なく伝道する姿でした。