サタンの申し出

ルカ22:31「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました」
サタンは常に人を訴えられるように、この世界を見張っています。ヨブ記の最初にも似たような場面があります。ヨブに試練を与えれば、ヨブは神をのろうようになるだろう…というものです(ヨブ1:11)。ここでもペテロがふるいにかけられ、信仰が試されることがイエス様の口を通して語られているのです。それも一度や二度ではなく、三度主を否定するだろうと予言されます。この試練はペテロにとってはとてもきついものになりました。ガリラヤ湖でイエス様を見つけたとき、服を着たまま水に飛び込むシーンがありますが(ヨハ21:7)、ペテロの心は悔しさと恥ずかしさとで一杯だったと想像できます。ひょっとしたら、このまま漁師に戻って新しい生活をスタートさせようか?…そんな考えも心によぎったのかも知れません。サタンの訴えはある程度まで成功したといえるでしょう。ヨブにしても、ペテロにしても立ち直るのに多くの時間を必要とし、信仰が揺らぎくじけそうになる様子が聖書には書かれているからです。しかし、ひとたび主がお許しになったのには、主の計画があり、主ご自身の栄光が輝くことがわかっているからです。試練は主の栄光が輝く前には、必ずあるものです。乗り越える道が険しければ険しいほど、主の栄光はますます輝けるのだと思います。