かたくなになるのも

ロマ9;18「こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです」
アメリカでは車の追い越しや割り込みによるトラブルで年間1200人もの人が命を落とすそうです。心が狭い人たちは、自分こそ王だと勘違いし、ちょっと自分の車を追い越されたからといって憤慨するのです。聖書が言うように、主が御心のままに人をかたくなにされたのを見るとき、言いようもない悲しみが心に広がります。主はエジプト王パロに対して「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである(出9:16)」と言われました。いわれのない言いがかりを受けたとき、クリスチャンは知恵を持って対処する必要があります。それはもし周りに見ている人がいるなら、その人が聖書のことばを持って対処するなら主の栄光を示すことになるからです。暴力的な人に暴力で対抗するわけにもいきません。クリスチャンに無理難題を言ってくる人の背後には主の御心があると考えるべきです。どうして自分だけ不幸な目に合うのだろう…と考えがちですが、人をあわれむのも、心をかたくなにするのも主の御心なら、人にできることは何もありません。もし自分の心が頑固になり、自分こそ正しいと思い始めたときに主の存在を感じることができるなら、主の前にへりくだり悔い改めることができ主の栄光につながるでしょう。