愛は律法を全うする

ロマ13:10「愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします」
律法では罪は消滅せず、むしろ罪を浮かび上がすものだと説明したのはパウロ自身です(ロマ3:20、ヘブ10:1)。神と人とを隔てている「罪」が消えないのであれば、律法を守ることに何の意味があるのでしょうか?律法は人を死に至らせるものです。律法のゆえに人は死ななければなりません(7:10)。努力によって、あるいは行ないによって律法は全うできません。しかし、「愛は律法を全うする」とパウロは言うのです。それならばすべての人が愛を持って生きるなら、律法は全うされ死ぬ人はいなくなる?…どうやら、話はそう簡単なものではなさそうです。それは人が「裁く」という行為をやめ、神が裁く国に住めば実現するでしょう。人がおのおのに判断し、自分勝手な基準で「正しい」「正しくない」を決めている限り、すべてを許し受け入れることは難しいものです。盗み、暴力など明らかにわかる問題だけではありません。「あの人は礼拝休んだ」「この人は献金しなかった」などと思い始めるなら、「愛」はどこかへ吹き飛んでしまいます。愛を保つには、寛容と忍耐が必要です。愛を理解するにはコリントの言葉そのままに覚えたほうが早いでしょう。親切でねたまず、自慢せず、高慢にならず、礼儀に反せず、自分の益を求めず、怒らず、人の悪を思わず、真理を喜ぶ(1コリ13)…そうすれば、律法を全うできます。