ナアマンの信仰

2王5:18「主が次のことをしもべにお許しくださいますように。私の主君がリモンの神殿に入って、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります。それで私もリモンの神殿で身をかがめます。私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、主がこのことをしもべにお許しくださいますように」
ナアマンは律儀にも自分の主君が寄りかかるために身をかがめることでさえ、主を裏切ったことにはならないだろうか、とエリシャに許可を得るのです。決して拝むために身をかがめるのではないのに、大変な念の入れようです。それだけ、自分に起きた皮膚病から解放されたことが嬉しくあり、それを起こした神に対して生涯忠誠を誓ったのです。たとえ不可抗力ではあっても、主は生きておられ自分がやることは全て見ておられるという主への恐れがナアマンの心に芽生えました。主の栄光はナアマンを通して現されたのです。それは、敵の将軍であっても分け隔てなく癒しのわざを行った主の懐の深さでもあり、どんなに困難に思える状況であっても、必ず生きておられる主が解決への道を備えてくださるという確信でもありました。ナアマンは戦いに連勝し、勇士だったとあります(1)。どんなに上から信頼され、仕事もうまくこなし、裕福になり名声を得ようとも、病だけはどうすることもできません。全財産を投げ売ってでも治したい病は、人生においての十字架を象徴していると思います。自分が負うべき十字架を負わなくてよくなったとき、ナアマンの信仰は目覚めたのです。