契約を結ぶ民

2王17:39「あなたがたの神、主だけを恐れなければならない。主はすべての敵の手からあなたがたを救い出される」
神の定めと律法を守るということは、神を恐れ認めるということです。そうすれば神のご加護を受けることができ、すべての敵の手から救い出されます。これが契約です。何かを犠牲にすることにより、約束された何かを与えられる、というものです。本来ならば、神と人とは対等な立場にはないはずですが、神の一方的な譲歩と献身によって、あり得るはずのない契約が成立しているのです。それでも、イスラエルの民はうなじの恐いものになり(うなじが硬いとは、融通が利かない頑固な様子)、他の神を拝み続けたのです。目の前で紅海が2つに別れるのを目撃したなら、もちろん信じやすいでしょう。奇跡ばかりが起き、クリスチャンのみが祝福を受け、世界中の富を独占しているなら教会に来る人は後を絶たないと思います。しかし、富と信仰はなかなか両立しないものなのです。一方に仕え、もう片方にも同時に仕えることは不可能です(マタ6:24)。究極に言えば今あるもので満足できれば良いと思います(ヘブ13:5)。環境が良くなり、経済的に潤うと神を忘れてしまうなら、日本が経済的に立ち直るのは主を遠ざける行為だといえます。正念場という言葉がありますが、日本にリバイバルが起きるための「正念場」は今なのではないでしょうか?