聞いても聞かなくても

エゼ2:7「彼らは反逆の家だから、彼らが聞いても、聞かなくても、あなたはわたしのことばを彼らに語れ」
「彼らが聞いても聞かなくても」はヘブル語で「im shama im meriy(イム シャーマ イム メリー)」で、5節には同じ言葉が使われています。「反逆の家」の「反逆」は「meriy」の中に含まれる意味ですが、7節では「家」にあたる「bayith(バイアス)」が原語にはありません。逆に英語訳を見るなら、NIVでは「house」という言葉が略されており、KJVやNASBでは「house」という言葉が書かれています。聞いても聞かなくても語れ、というのは少し横暴な気もしますが、黙示録やイエス様の言葉の中には「耳のあるものは聞きなさい」というフレーズが繰り返されています。耳があっても聞かないのはどういう時でしょうか?それは関心がない時や、嫌いなことを聞くときを指していると思います。主は人が預言者の言葉に耳を傾けないようなケースも、分かりきった上でエゼキエルに命じているのです。パウロはテモテに対し「時が良くても、悪くてもしっかりやりなさい(2テモ4:2)」と励ましています。私たちが悪いと思えるときでも、主にとっては好機かも知れません。私たちには主のタイミングなどわかるはずもないのです。それゆえ、全部の時を好機だと信じ、「今はダメかなあ」などと思わず、信仰によってすべての時を主が利用してくださる、と御言葉を語るのを止めないように努力すべきだと思います。