悪者の死は喜ばない

エゼ18:23「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。―神である主の御告げ―彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか」
この章の終わりには「悔い改めて、生きよ(32)」とくくられています。主が喜んで人を滅ぼしているわけではありません。主の望みは、人が神と共に人生を歩み、永遠に主を賛美し礼拝できるようになることです。罪を犯したとしても、悔い改め、悪い行ないから離れるなら生きる可能性があります。罪の定義は何か決められていることを破り、悪いことをすることではなく、神から離れていることが罪なのです。神に近づくならば、今まで大丈夫だと思っていたことも、してはいけないという思いに支配されるようになります。神と共にいて神が人を思わず、なにも知らせないことはあり得ません。必ず、人との交わりを大切に思い、人の悟るべき知識を教えてくださいます。それはどんな人に対しても平等に扱われます。人を人とも思わないような独裁者であっても、横暴で人を敬うことのないような人であっても、性格が悪いからといって愛さない理由にはならないのです。我々にとっては嫌な性格も主の前では悔い改める可能性のある…つまり、主の栄光を現わせることのできる器だったりします。生きることが苦しいと感じるときも、やがてくる主のときを思うなら、希望に変えられます。主を選び、悔い改め、生きることは主の望みなのです。