妻が死んでも

エゼ24:24「エゼキエルはあなたがたのためのしるしとなり、彼がしたとおりを、あなたがたもするようになる。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう」
エゼキエルのした通りというのは、エゼキエルの妻が亡くなったにもかかわらず、涙を見せず、頭のかぶりものを取らず、履き物を脱ぐことも許されず、人々が持ち寄るパンも受け取ってはならない…ということです。かぶりものや履き物を脱ぐことは悲しみの表現で、イスラエルには悲劇がおきたときには着物を引き裂き、灰を頭からかぶる…というものもあります。エゼキエルは以前に寝返りのうてない状態で過ごし、牛の糞でパンを焼かなければならない生活を命じられたことがあります(エゼ4章)。そのときも多くの人が目をとめて、「なぜあなたはこんなことのをしているのか」と聞いたはずです。今回は妻が死んだのに悲しまないというデモンストレーションです。預言者はどれだけ厳しい職業なのでしょうか?イザヤも下半身をさらけ出して過ごさなければなりませんでした(イザ20章)。もはや民に知らせるためには言葉だけでは有効ではなくなってしまったのです。それだけ、イスラエルの民の目は曇り、耳を主の言葉に傾けることができなくなってしまった証拠だと思います。もし、現代でもとんでもない奇妙な行ないで、主が語っておられるという人が現れたなら要注意です。クリスチャンの耳が主に向いていないのかもしれないからです。