さばきは主のもの

エゼ25:6「まことに、神である主はこう仰せられる。あなたは手を打ち、足を踏み鳴らし、イスラエルの地を心の底からあざけって喜んだ」
主が罰を与え、懲らしめたことに対して笑ってはいけません。近隣諸国の感情は「ざまあみろ」といったものです。主が大事に思い、大切に扱う人はみな同じです。主はアベルを殺したカインに対してしるしをつけ、「誰でもカインを殺すものは7倍の復讐を受ける(創4:15)」と言われました。カインに対しては主が報いを与え、他の者が関与すべきではありません。それはさばきが主のものであり、誰にも犯すことのできない領域であることを示しています。また「復讐と報いはわたしのもの(申32:35)」と書かれており、パウロもローマ人への手紙で引用しています(ロマ12:19)。人には正しいかどうかを判断することができます。しかし、さらに踏み込んで「さばく」となると話は別です。アダムとエバが善悪を知る木の実を食べたのは偶然ではありません。人には善悪を知る力が必要だったからです。その力には大きな責任が伴い、扱いを間違えると簡単に人を傷つける結果につながりかねません。とても大きな力ですが、いきなり善悪を知ることを覚えるなら、神の領域を超えて間違ったさばきをしてしまうでしょう。それは越権行為です。主に従い、すべてを主に判断にゆだねるなら、もっと多くのクリスチャンがさばくことを控えるようになるでしょう。