セイルへのさばき

エゼ35:10「おまえは、『これら二つの民、二つの国は、われわれのものだ。われわれはそれを占領しよう』と言ったが、そこに主がおられた」
セイルとは「毛むくじゃらの」とか「毛深い」という意味です。ヤコブの兄エサウを指し、総じてエドム人のことを指しています。2つの民、2つの国はイスラエルとユダのことです。アッシリアとバビロンの捕囚のことを聞き、ことの混乱の中で2つの国を乗っ取ろうとしてしていました。決して戦力のないエドム人が混乱の中で火事場どろぼう並みのはかりごとが進行していたのですが、その場に主がおられた…とあります。主は心の中を見られるお方です。どんなに親切や施しがなされていても、それが愛のある、真心からの行ないかどうかは主はご存知です。誰もいないなら、悪い行ないをしても誰にも気づかれないと思いがちですが、主はすべてをご存知です。逆に誰も見ていないときこそ、主との深い交わりができるチャンスです。それは神を信じる者だけがわかる特別な感覚だと思います。結局、エドムには厳しいさばきが下ることが預言され、エドムの地には誰も住まなくなってしまいます。主がおられることを信じる人たちは、主を恐れることを知っています。それは目に見えないものを信じる特権です。目に見えないけれども、主を恐れる姿を誰かが見るならば、主が生きておられることを証しすることができると思います。