なぜエゼキエル神殿?

エゼ43:19「わたしに仕えるために、わたしに近づくツァドクの子孫のレビ人の祭司たちに、あなたは、罪のためのいけにえとして若い雄牛一頭を与えよ。―神である主の御告げ― 」
レビ人まで呼び寄せて、神への神聖な購いの儀式はモーセの時代に語られたように行なわれます。エゼキエル神殿が歴史的にはまだ完成されていないことから、これから起きる預言だと多くの人は考えています。それならば、いくつかの疑問点が生じてきます。イエス様の罪の購いは、人類の罪のためにただ1回だけ行なわれ、人はもはや罪に生きるのではなく神のために生きる(2コリ5:15)…と書かれているのなら、神殿やいけにえは必要ないのではないでしょうか?もう1つは、神殿の最大のポイント至聖所です。イエス様の十字架のときに、聖所と至聖所とを仕切る幕は真っ二つに裂けてしまいました。このとき以来、契約の箱がどこに行ったのかは不明ですし、現在も見つかっていません。エゼキエル神殿で罪を購い、神を礼拝するようになるなら、契約の箱はどうするのでしょうか?これは推測ですが、いまだにイエス・キリストをメシヤとして認めないユダヤ人に対して、もう1度主を中心とする社会が復活し、その場所にエゼキエル神殿が建てられ、あくまでもユダヤ人を購うために古い律法を用いて彼らを導こうとしているのではないでしょうか?