もう偶像は慕わない

エゼ44:10「レビ人でも、イスラエルが迷って自分たちの偶像を慕って、わたしから迷い出たとき、わたしを捨て去ったので、彼らは自分たちの咎を負わなければならない」
神殿の東の門は「黄金門」とか「美しの門」などと呼ばれていた門で、ここから主が入られて、門が閉ざされています。そして、そこからは誰も入ってはいけないと注意を受けています(2)。さらに北の門から神殿の前に立つと、神殿は主の栄光で満たされていたとあります(4)。神殿には主の臨在と栄光で満ちており、その場を汚すことはもはや許されません。モーセの時代にもしっかりとほかの偶像を慕ってはならないと、警告がされていたはずです。しかし、歴史を振り返るならば、イスラエルの民はダビデ時代を境にどんどん堕落していきました。まず、ダビデの後継者であるソロモンから始まります。ソロモンは積極的に異邦人の女を好み、妻とし、彼女たちの神を拝むようになっていったのです。歴代の王たちも高きところを排除せず、自分の子を火にくぐらせ罪を犯し続けました。エゼキエルはもう一度同じ戒めを耳にします。ダビデの作った幕屋は仮のものでした。本物の神殿はソロモンが建てましたが、ソロモンの時代から主の定めは破られ、一度も神殿の中で主の願ったとおりの礼拝はされていません。ひょっとしたら、エゼキエル神殿はもう一度イスラエルに主のおきてを守るチャンスを与えるものなのでしょうか?