ヨタムのトラウマ

2歴27:2「彼はすべて、主の目にかなうことを行なった。父ウジヤが行なったとおりである。ただし、彼は、主の神殿に入るようなことはしなかった。民はなお滅びに向かっていた」
父ウジヤが神殿で香をたこうとしてツァラトになったことは息子のヨタムも知っていたはずです(26:20)。それどころか、ウジヤが病気で隔離されている間はヨタムが摂政の役についていたとあります(26:21)。父が祭司の職を侵し、神殿で勝手な振る舞いをしたために神罰が下ったのです。そんな様子を見ていたヨタムが神殿に入ることを拒否したのはわからないでもありません。別に聖所に入るわけでも、至聖所に入るわけでもありません。神殿に入り、主の前で購いと和解のいけにえを捧げなければ、主の赦しをもらえないのです。しかも、王は国民の代表として必要な数だけのいけにえを捧げる必要がありました。父ウジヤのツァラトに対するトラウマが、主の目にかなうことをしたにも関わらず、国民を滅びに向かわせたのです。それでも主はヨタムを助け、アモン人との戦いに勝利し多くの貢ぎ物を納めさせました(5)。また、ユダ王国の勢力は増し加わったともあります(6)。それは神殿に入ることはしなくても、主の目にかなうことを行ない、自分の道を確かなものとしたからです。主は心の中を見られます。ヨタムが神殿に入ろうとしない動機が父ウジヤからのもなら、ヨタムの責任とは言えないでしょう。それよりもヨタムの主に対する誠実さが上回ったのではないでしょうか?