高慢になったウジヤ

2歴26:19「ウジヤは激しく怒って、手に香炉を取って香をたこうとした。彼が祭司たちに対して激しい怒りをいだいたとき、その祭司たちの前、主の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額にツァラアトが現われた」
ウジヤも最初は主の目にかなうことを行なっていました(4)。しかし、主を求めたのは祭司ゼカリヤの存命中だと書かれています(5)。ウジヤは農業を好み(10)、軍備や兵器について卓越した才能があり、近隣諸国はその巧みさに敬意を払っていました(15)。しかし、成功の後には必ず「高ぶり」が襲ってくるもので、ウジヤも例外ではありませんでした。神殿で香をたくことは、祭司の象徴であり、主に近づくための大切な行為です。ウジヤがその行為を我が物のようにしようとしたのは、神の定めたレビ人への冒涜でもあったのです。自分には金があるから、人から賞賛される有名人だから…という理由で主の聖別された祭司の職を侵すことは許されないことです。何かに成功し有頂天になることは否定しませんが、そういうときこそ身を引き締める必要があるのです。もし、何かに失敗するなら落ち込んだり、悔やんだりして、反省するでしょう。そういうときは主を求める気持ちが強くなるものです。「恥」は我がもの、栄光は主のもの…です。しかし、恥じ入ったときに主を求める力が増し加えられるなら、恥もまた主のものだと思います。