ヒゼキヤのへりくだり

2歴32:36「しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった」
ヒゼキヤの感心なところは、高ぶりを捨てることができたということです。心は常に主に向いており、たとえ高ぶりへの誘惑があったとしても、断ち切ることができるのは人が選択する選択肢の中でも最も難しいものです。どうしても、人の欲は神から離れようとします。ヒゼキヤの改革はイスラエルの中でも類を見ないほど徹底していました。主に対して正しい思いと情熱が、ヒゼキヤを改革へと促したのです。それゆえ、アッシリアのセナケリブの攻撃から守られ近隣諸国から敬意の目で見られるようになったのです(23)。物事がうまくいくと、どうしても高慢になってしまいます。何も恐いものがなくなり、他人より自分が勝っていると勘違いし始めるのです。特に周りに自己顕示をアピールし始めたら要注意だと思います。「わたしはこれだけのことをした」と周りにアピールするのは、自分が認めてもらいたいという心の裏返しです。たとえ断食しても心が整えられていないなら「あなた方の声はいと高き所に届かない(イザ58:4)」と書かれています。また、「断食するときには…やつれた顔つきをしてはなりません(マタ6:16)」ともあります。主に対してなのか、周りにアピールして認めてもらいためなのか、はへりくだれるかどうかの重要な決め手になると思います。