いのちの道

箴15:24「悟りのある者はいのちの道を上って行く。これは下にあるよみを離れるためだ」
よみはヘブライ語で「sheowl(シェオール)」で、一般的に日本語表記として「シェオル」が使われています。ここでは上と下の対比として「いのちの道」と「よみ」が書かれています。人の人生は上るか、下るかの選択です。自分の欲にしたがって、欲を満たすために自分勝手な判断を繰り返し人生を歩むなら、それはいのちが生かされる道とは逆の方向のものです。よみはギリシャ語でハデスと訳され、死者が審判を受ける前にいる場所で、最後の審判後その行ないに応じて火の池に投げ込まれるとされています(黙20:13-14)。「悟り」はヘブライ語で「sakal(サヘル)」で、「分別がある」とか「慎重な」という意味になり、思いつきで判断したり、利己的な決断を避けるべきだと教えています。何よりも主を覚え、恐れることことこそが知恵であり、悟りはその基礎の知恵に基づくものです。そして悟りがあれば「いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る(31)」という箴言を全うします。たとえクリスチャンであっても主の教えから離れて人生を歩むなら、いのちに至る道から外れることになります。御言葉に頼り、御言葉を自分の生きる糧にするなら、その人は知恵と悟りがある者に数えられるでしょう。いのちに至る叱責を受け入れ、いのちの道を上っていけるようにしたいものです。