悪者さえも造られた

箴16:4「主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた」
悪者は主が目的を持って造られたのだと書かれています。すべては主のご計画が働き、主を信じる者が途切れることのない信仰を持ち続け、主にだけに目を留めて人生を歩むようにされているのです。悪者の原語は「rasha(ラシャ)」で、聖書に最初に出てくるのはアブラハムが主がソドムとゴモラを滅ぼそうとされたときに「正しい者と悪い者を一緒に滅ぼされるのですか(創18:23)」と言ったときです。ソドムとゴモラには正しい者は10人もいず、男を見つけたなら暴力を犯してでも関係を持とうとする性的にも道徳的にも腐敗した町でした(創19:5)。まさしく、わざわいの日に主が悪者を用意されていたことを証明する出来事です。主は人を一人残らず罪の奴隷にし「わたしこそ正しい」という者がないようにされました。人が選ぶ道はたった2つしか用意されていません。主に従うか、主に従わない道の2つです。ほかにオプションはありません。どんなにほかの神に拠り頼み正しい道を歩んだとしても、そこには救いがありません。キリスト教とほかの宗教の違いはここにあります。イエス様はご自分が十字架に架かることで、人生だけでなく、死んだ後のたましいの責任を保証してくださっています。生きている間に主を信じれるかどうかが鍵になると思います。